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【わがまちの偉人】高岡銅器 蝋型鋳造の無形文化財保持者 二代 須賀松園(1898~1979年) - 中日新聞

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 高岡市中川上町に蝋型(ろうがた)鋳造の工房を構えた名門須賀家の二代須賀松園(精一)は、昭和時代に匠(たくみ)として不動の地位を築いた。江戸風蝋型の鋳物技術を父の初代松園(亥子蔵(いねぞう))に学び、一九七四年に国の無形文化財保持者に認定された。 (武田寛史)

極めた技で現代芸術

(上)二代須賀松園の作品を見せる須賀正紀(下)松園工房に残されている「ねこ」の一体=いずれも高岡市中川上町で

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 「職人のわきまえ、覚悟がいるがや」。松園工房を継ぐ二代松園の孫で鋳金家・須賀正紀(まさずみ)(64)は蝋型鋳造の最盛期から晩年までの祖父の言葉や姿を記憶している。

 応接間に二代松園の作品がある。造形技の真骨頂が発揮された「攀龍文(はんりょうもん)」や「魁文(さきがけもん)」の花生から、六十代で三代松園(精一の長男正佐(まさすけ))に工房を任せ「好きなものをやる」と宣言し、現代芸術の新境地を突き進んだ時の作品まである。

 分業制の高岡銅器にあって原型、鋳造、仕上げ、着色のすべての工程を六十坪の作業場で家族や弟子の総力で担った職人の家。正紀はアトリエの椅子にもたれ、たばこの煙をくゆらしながら何かを考えていた姿をよく覚えている。「怖い存在。地位や年齢で上下をつけない人。一秒を争う鋳造の仕事場は、けんかのようだった」

 無形文化財保持者に認定された後、文化庁に代表作七点が買い上げられた。伝統的作品「攀龍文花生」や原型の「蝋型双龍文」、現代芸術的な「ねこ」や「風景」。リストを聞いた二代松園は「あっ、そう」とだけ。正紀は「極めた蝋型の技と真に求めた感性の両方を認めてもらったことを喜んでいたと思う。口数が少ない時は機嫌が良い時だから」と笑う。

 体をしなやかに伸ばして振り向く猫を表現した「ねこ」。中学生だった正紀が猫を隠し持ってきた時に呼び止められた。「ここに置いていけ」。正紀は「その時は何を作っていたか知らなかった。後に傑作の一つとされる『ねこ』だと分かった」と言う。蝋型は三体作られ、鋳造品一点が工房に残る。

 正紀は「生業(なりわい)としての工房を息子に任せ、自分がやりたいものをやれる理想的な環境になった時、長くためてきた創作意欲が一気に噴き上がった。蝋型にしかできないやり方で、誰もやっていない現代芸術をやろうとした」と語る。 =敬称略

 すが・しょうえん(せいいち) 1898(明治31)年に初代松園の実子として生まれる。1935年に二代松園を襲名。43年に文部省美術展特選。45年に県立高岡工芸高校に奉職。66年に日展会員。74年に国の無形文化財保持者に認定、勲四等瑞宝章を受章。

 蝋型 蜜蜂の巣から採取される蝋質を松やになどと煮合わせた蜜蝋で原型(蝋型)を作る。精緻な細工が特徴。蝋型を粘土で包み、焼くと溶けた蝋が流れ出し、できた空洞に溶けた金属を流し込む。鋳型を壊し、成型品を取り出す。鋳型を焼成する火の温度を目で測る「火色見(ひいろみ)」は熟練した職人の勘が求められる。一原型一生産品。

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March 22, 2020 at 03:19AM
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