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【百年を生きる 北陸の会社 】文化届ける 創意重ね うつのみや(下) - 中日新聞

1902(明治35)年ごろの宇都宮書店片町店。商品の輸送に活躍したとみられる荷車が写っている=金沢市片町で

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 「文化の普及と速達」。一八七九(明治十二)年に今の石川県小松市で創業した宇都宮書店(現うつのみや)の当時の社是だ。険しい海岸線に囲まれた北陸は、太平洋側に比べて鉄道の開通が遅れる。東京や大阪で発信された情報を、いかに早く届けるか。創業者の宇都宮源平(げんべい)(一八六〇〜一九三〇年)は心を砕いた。

 宇都宮書店が金沢に進出した一八九三年末、米原からの北陸線は敦賀止まりだった。汽車で届いた新聞や雑誌は金沢まで荷車か人の背で運ぶしかなく、東京から七日余りかかった。

(上)創業141年を前に決意を新たにする現社長の宇都宮元樹(下)営業担当として美術品の販売に奔走した現相談役の裏谷重成=いずれも金沢市で

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 「新聞が情報のすべてだった時代。東京の、日本のニュースを見たいと北陸の方が希望した」。現社長の元樹(55)は当時の人々が書店に寄せた期待を語る。

 九六年に北陸線が福井までつながると、源平は運輸会社に頼んで毎日二回、人力車を走らせ、金沢への輸送を速めた。新聞や雑誌を他の業者より五時間ほど早く配り、読者の信頼を勝ち取る。翌九七年の小松延伸後は、まだ珍しかった自転車を使い、さらにスピードを上げた。

 大正を経て昭和に入り、高度成長期へ。一九七〇年に三代目社長に就いた熙志(ひろし)(故人)は翌年、社名から「書店」を取り、平仮名の「うつのみや」に変える。「単なる物売りではなく、知性と情操を届ける」との決意だった。料理教室やピアノ教室、スイミングクラブを次々に開いた。「文化の総合商社、百貨店を目指していた」。元樹は父熙志の思いを語る。

 東京の老舗画廊が扱う作品を富裕層に売る美術事業も始める。現相談役の裏谷(うらたに)重成(67)は営業担当として、絵画をトラックいっぱいに積んで年二回、北陸各地を回った。

 九〇年代中ごろ、裏谷は福井県嶺北地方の常連客の眼科医を訪ねる。名医として知られた男性は、手術の緊張感を和らげて心を落ち着けようと絵画鑑賞を好んだ。「絵を見たら欲しくなってしまう」と話すほど。だが、この日は疲れがたまり、顔はしかめっ面。それでも裏谷は「頼むから見てくれないか」と粘り、中に入れてもらう。

 男性が好きな大型の風景画を中心に、七、八点を部屋いっぱいに並べた。世間話に花を咲かせるうちに二時間たち、午後十一時に。男性は一点の作品を見つめて「うーん」と悩み始める。「置いていきますね」。決して「買って」とは言わず、裏谷は帰路に就いた。まさに、あうんの呼吸だった。この絵画は三百五十万円ほどで売れた。

 「諸先輩がつくり上げた会社の接着剤があればこそのお付き合い。ありがたかった」。裏谷は懐かしむ。

 そんな美術事業もいつしか幕を閉じた。そして、本業の本に戻ったうつのみやは今年二月、創業百四十一年を迎える。「一冊の本が人生を変えることもある。これからも知識や感動を届けていきたい」。元樹は決意を新たにしている。 =敬称略 (阿部竹虎)

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January 30, 2020 at 08:05AM
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