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神戸の喫茶文化をけん引 ミーコ発祥店の今昔をリポート - 神戸新聞

 「ミーコ」。人や猫の名前ではない。関西でアイスコーヒーのことを「レイ(冷)コー」と呼ぶ人がいるように、神戸では昔から、ミルクコーヒーのことを親しみを込めてこう呼ぶ。いや、正確にはこう呼んでいた。その「ミーコ」発祥の喫茶店が神戸市兵庫区内にあった。その名は「喫茶ホワイト」。最盛期には市内に36店舗の系列店を誇ったという。戦前、戦後、そして高度経済成長期と、神戸の喫茶文化をけん引したホワイトの今昔をリポートする。(西竹唯太朗、中野 穰)

 本紙の過去記事をたどると、喫茶ホワイト第1号店、発祥の地は同区湊町1とある。1926年に故・浦春友氏が、元理髪店の店舗を改装して創業。その際、看板を真っ白に塗り替えたことが屋号「ホワイト」の始まりという。第1号店があった場所に行ってみたが、現在はマンションや駐車場になっており、市内には、暖簾分けした6店舗が残るのみという。

 その一つ、1936年創業の「ホワイト宇治川」=同市中央区下山手通8=を訪ねた。メニュー表を開くと「ミーコ」の表記はない。

 「以前はミルクコーヒーと書いていたけど、分かりやすいようにカフェ・オーレに直したの」と店主の鳴古香さん(60)。昭和50年代に、カフェ・オーレの呼び名が世間に浸透し、ミルクコーヒーでは意味が伝わらない若い客が増えたことで表記を変えたという。

 鳴古さんは「味も中身も全く一緒だけどね。今でも癖で伝票にMC(ミルクコーヒー)と書いてしまう」とほほ笑む。

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 「ミーコ」はどのような経緯で生まれたのか。鳴古さんに聞いてみた。

 店頭に飾るのれんを新調した際、手違いで「ミルク」と「コーヒ」の文字が、間を開けずにつづられていた。それを見た客から「ミルクコーヒ」の注文を受けたという。

 想定外の注文に、浦さんらは試行錯誤の末、グラスに牛乳を入れ、コーヒーを加えて出したことが、ミーコ誕生のきっかけとなった。ミーコは温かい飲み物なのにマグカップではなく、長細いグラスに金属製の持ち手を取り付けた容器で提供されていた。

 「理由は分からないけど、当時はそれがハイカラだったのかな」と系列店の一つ「マルシンホワイト」(兵庫区東山町2)の店主村上時雄さん(64)は語る。また、ミーコ以外にも「レイ(冷)ミーコ」や「ミーチャ(ミルク・オーレ)」などの呼び名があったといい、「関西人特有の略語をつくる文化があった」と振り返る。

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 市内に36の系列店を誇ったホワイトだったが、阪神・淡路大震災やファストフード店の台頭などで激減。各チェーン店が加盟していた「神戸ホワイト会」も2018年に解散した。営業を続ける6店舗は、いずれも、現在は「ミルクコーヒー」ではなく、「カフェ・オーレ」の表記でメニュー表に記載。容器もグラスではなくマグカップに変わっている。

 一方、全盛期時代、大阪にも系列店は誕生し、その数は三十数店舗に上った。ミーコ発祥の地・神戸ではホワイト会は解散したが、「大阪ホワイト会」は健在だという。

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February 05, 2020 at 03:30AM
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