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緑の芝生に飛び込み台、なぜ? 久留米・石橋文化センターの記憶刻む - 西日本新聞

 福岡県久留米市の文化活動を支えてきた石橋文化センター(同市野中町)の一角。花壇や緑の芝生が広がる中に、数字を刻んだコンクリート製の四角い台がひっそりとたたずむ。初めて見た人が一瞬、目を疑う“異物”について探った。

 それはどう見ても水泳選手がスタートする飛び込み台だ。背泳選手がつかむための手すりもある。そばにたたずむ記念碑には、かつて敷地内に50メートルプールがあったことを伝えている。

 プールは終戦から10年がすぎた1956年、当時のブリヂストンタイヤ(現ブリヂストン)が文化センターを開いた際に併せて開業した。開園あいさつで当時の社長、石橋正二郎氏は「青少年の体位の向上」を目的の一つに挙げた。

 まだ豊かとはいえない時代だが、幅は20メートル(9コース)あり、国内初の水中水銀灯や2500人収容の観客スタンド(老朽化で88年に撤去)など、最先端の設備を備えていた。

 広く市民に開放されただけではない。日本水泳連盟の公認を受け、数多くの記録会や大会も開かれた。57年、メルボルン五輪銀メダリストの石本隆選手が100メートルバタフライで世界新を記録。59年には、当時筑紫女学園高生で翌年のローマ五輪で銅メダルに輝く田中聡子選手が、200メートル背泳ぎで日本新を出した。

 にぎやかな記憶も刻む。プールサイドでは、市民盆踊り大会や納涼音楽祭が開かれ、夏の夜を彩った。60年代にあったアマチュアバンドの音楽ライブ「サマービート」には、久留米出身でロックバンド「シーナ&ロケッツ」リーダーの鮎川誠さんも出演した。

 ピーク時の67年の入場者は約7万4000人。だが76年に近くの中央公園に市民流水プールがオープンすると、年間入場者は1万人台に。美術館別館(現在の石橋正二郎記念館)の建設に伴い93年に閉場するまで、37年間の入場者は累計で112万人に上った。

 飛び込み台はそうした記録と記憶を、今も無言でこの地に伝える。センター職員の舩津将義さんは「ここは今でこそ、美術館や図書館といった文化的な印象が強いですが、当時はプールや体育館もあり、スポーツの拠点でもあった。子どもの頃に体が弱かった正二郎氏の思いが込められていたんでしょう」と振り返った。 (片岡寛)

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February 19, 2020 at 04:01AM
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